眠れる森
A Sleeping Forest



第一幕 ◆ 「15年目のラブレター」


Reported By No.302 べガ


◆プロローグ −15年前の殺人事件

「1983年12月24日 −  土砂降りのクリスマス・イブだった」
降りしきる雨の夜、教会からは、聖歌が聞こえる。その側を警官があわただしく行き交う。
その隣の1軒屋が明々と照らされている。
「福島県御倉市 市会議員の一家が何者かに襲われ惨殺された」
報道のフラッシュがまたたく。

「父親と母親は即死 出血多量の少女は後に病院で息を引き取った」
ひとりの少女が担架で救急車へ運ばれていく。
青いブルーシートにくるまれて運ばれる遺体。
教会の前で目をつぶり手を合わせる聖歌隊の子供。
もうひとり、少女が担架で運ばれていく。
「事件の生存者は12歳の次女だけだった」
聖歌隊の中から少年がひとり、駆け下りようとして神父に止められる。

「この雨で 大量の返り血を浴びたと思われる犯人の痕跡は消されてしまった」
降り続く雨の中を警官が行き交う。
「第1発見者であった大学生は殺された長女の交際相手だった」
パトカーの中にひとりの男がうつむいて座り、事情を訊かれている。
「3日後 その大学生が一家惨殺事件の容疑者として逮捕された」
教会のマリア像が、激しい聖夜の雨に打たれている。

聖夜の音声が遠のき、1人の青年の声が聞こえてくる。

直季の声 「眠れる森の美女ってあるじゃん。ほら、あのフランスの有名な童話でさ。
     あのお姫様って、目覚めてすぐに王子様のプロポーズを受け入れてんだよなあ。」

事件の映像が、木漏れ日のさす緑の美しい森の映像に移り変わり、男女の声が流れる。

直季の声 「よく考えると、あれって変な話だと思わない?
     だってあのお姫様ずっと眠ってたんだろ。王子様が自分を目覚めさせるために
     どれだけ苦労したかなんて全然知らないのにさ、目の前にいたってだけで
     結婚相手に決めちゃっていいの?」
実那子の声「きっと目と目でわかったのよ。この人が運命の人だって。
     自分のために魔女と命がけで戦ってくれた人なんだって。」
直季の声 「わかるかなあ」
実那子の声「わかるの。」
直季の声 「何か今ひとつ納得いかないなあ。」
実那子の声「ねえ・・」
直季の声 「ん?」
実那子の声「私が目覚めるとき、ちゃんとあなたが目の前にいてくれる?」
直季の声 「いいよ。」
実那子の声「本当?」
直季の声 「ちゃんといる。俺がいる。」
実那子の声「約束よ・・」

 

事件から時は流れ・・・

「なんで鳴らないの・・・!」AM8:30。
遅刻だ!枕元の目覚まし時計を見て大庭実那子は起き出し、あわてて恋人の濱崎輝一郎にモーニングコールをした。

電話をつなぎっぱなしにして、それぞれ自分の部屋でせわしく出勤の支度をしている。
着替えのシャツや朝食のパンの場所に手間取る輝一郎にてきぱき指示する実那子。手慣れたものだ。
2人は結婚を控えているのだから。
部屋を出て、携帯電話を片手にそれぞれ道を走っていく。今夜8時の待ち合わせの確認をしながら。

実那子は、蘭専門の植物園で明るく働く女性である。
社会見学の中学生たちに、蘭の花の説明をしたりもしている。
男子生徒のちょっとませた質問に場が騒然とすると、困り果てたりもしているが。

実那子と、彼女の同僚の浅羽祥子との2人が植物園のベンチに座って昼食をとっている。
祥子が実那子に話しかける。「イブの夜に海で結婚式かあ。何着てこうかなあ」
「派手なのはいいっていったんだけどね。」
「うん。35で、初婚で、一流企業に勤めてて。そんな男なかなか探したっていないよね。」
「あたしね、最初この人何か裏があるんじゃないかって、やっぱり思ったけどね。」
「ほんとに思ってた?まあ、男の過去には目をつぶってやらなきゃな」
「過去を訊かれたらあたしだって困っちゃうし」
「交通事故で家族を亡くして身寄りがないってことで、変に引け目感じちゃだめよ」
実那子は小さくうなずき、「故郷って呼べる故郷もなくて、なんだかね、自分が根無し草に思えるの。」
ため息をつき、遠くを見つめながら続ける。「思い出せないことがたくさんあるんだもん」
「思い出せないこと?」祥子が実那子を見つめ返す。
「事故のせいかな。子供の頃のことがあやふやなの。・・・だから私、過去って言葉が大嫌い。」
・・・「食事中申し訳ないんだけど!・・・」園長に呼ばれて祥子は席を離れ、会話はとぎれた。

居酒屋にて。

「人間の脳っていうのはね、森羅万象の中で最も複雑な構造物で、例えて言うなら、天の川の全部の星をかき集めて、銀河をソフトボールくらいの大きさに圧縮したものが実那子のここにも入ってるんだ」
両手でつくった輪で実那子の頭をポン、とたたきながら輝一郎が話す。へぇーと実那子も感心している。

・・・脳はソフトにできていて、そこに収まる記憶は絶えず作り直されている。古い記憶は上書きされたり消されたりして元の出来事とは似ても似つかないものになっている。ある学者が試しに現在の長さを計算したところ8秒程度の長さでそれを過ぎれば過去の記憶になって人間の魂の間を流れていく・・輝一郎は続けて話す。「だからそんな、過去なんて関係ないんだよ。実那子は、今を生きればいいんだ。」
「8秒の今?」
「そう、たった8秒の今を精一杯。・・・生、おかわり!」
その今をいとおしんで、残ったビールを幸せそうに飲み干す2人。

実那子と輝一郎との出会いは3年前。とあるコンサート会場の異臭事件に遭遇した2人はその場で偶然隣り合わせた。後遺症で通院した病院でも何度か顔を合わせ、待合室で言葉を交わした。実那子のPTSD(心的外傷後ストレス障害:心に深い傷を負った人々が悩まされる不安とか不眠とか悪夢とか)を心配する輝一郎に、それほどでもないと答える実那子。PTSDには異性に恋愛感情を持てなくなるという後遺症もあるらしいが、それだけは絶対ない、実那子を好きになったことがその証拠だと、輝一郎は彼女に告げたのだった。

夜景が美しい行きつけのバーに場所を変える2人。野菜スティックを注文し、世話を焼く実那子。
そこで、輝一郎から、彼の父親が近々フランスから帰国することを聞く。輝一郎の父は世界的に有名な画家である。
「・・・さっきから何やってんのかな。イベントでもやんのかなあ。」バーの窓ごしにサーチライトが数本、光を放っている。輝一郎に言われて実那子も窓の外を見つめる。「何やってんだろう・・」

と、そのうちの1本がこちらに向かい、店内が白く照らされる。ざわめく店内。

『白く光る部屋の中に立つ少女。恐怖に目を見開いている。』

それをまともに受けた実那子の脳裏に一瞬よみがえる記憶?何・・・?
サーチライトが直り、元に戻った店内で、実那子は呆然としていた。輝一郎はそんな様子に気づかない。

サーチライトのあるビルの屋上。ライティングデザイナーの伊藤直季が、セットにあわてて走っていく。
表地が白、裏地が紺のリバーシブルコートを身につけている。誤作動を起こした若いスタッフが謝る中、ライトを直す。上司とライトの演出について意見を交わし、作業に戻っていく。なかなかやり手のよう。

 

直季が自分の部屋に帰ると、友人のフリーライター中嶋敬太と4年越しの恋人佐久間由理が部屋にいる。2人で食事を作っていた。3人で昔撮った写真−由理がまた貼ったのだろう−を無造作にはがす直季。

敬太はぶっきらぼうな直季にビールを手渡し、ベランダに引っぱり出す。

敬太は部屋で直季を待っている間、由理から「直季が親に会ってくれない」と泣かれたと話すが、直季はそっけない。由理を好きな気持ちは直季より断然勝ってると自負する敬太は、直季とは別れろと由理に言いたいのに、彼女の気持ちを考えるとそれが言えなくてつい慰めてしまうのである。

「ごめんね、もうすぐできるから!」の由理の声に2人は部屋に戻り、敬太は直季から頼まれていた調査のことを切り出した。由理に見えないよう直季は本棚の陰に敬太を引っ張り込む。

ポケットからメモを取り出し、それを読み出す敬太。
「えー、『1983年、福島県御倉市で起こった市会議員一家惨殺事件の犯人、国府吉春は無期懲役の判決を受けるも、刑務所における模範的な態度が認められ、15年で仮出所となった』」
驚く直季。敬太はさらに続ける。「『保護司に預かりの身となり、印刷工場で社会復帰を目指すことになった』と」
「え・・ちょっと待って。それ、いつの話だ」
「仮出所は3日前だ。国府を担当した弁護士事務所の線から突き止めた情報だから、確かだよ。」
敬太のその言葉に、直季はあわてて本棚から古いスクラップブックを取り出して座り込む。
「人を3人も殺しといて、たった15年で社会復帰なんて、遺族にとっちゃたまらんだろうな。・・・この事件ってさ、確か生き残りいたよな。」
耳も貸さず、直季が広げたスクラップブックには、その事件の記事が貼られていた。
『第1発見者の大学生を逮捕 交際を反対され凶行に及ぶ』国府の20歳の顔写真もある。
『目撃者の次女、証言できず 開かぬ操作の鍵』
そこには1人の少女の写真が一緒に挟まれていた。呆然とし、その写真を見つめる直季。
「そろそろ教えてくれたっていいだろう。お前とどういう関係があるんだよ、この事件。・・・15年前っていったら、俺とお前が、群馬の森で、カブトムシとってた頃だよな。」直季の様子に気づかず小声で訊く敬太。直季は答えない。

食事の用意ができたようだ。敬太は由理のところへ言ってしまう。
直季は恐怖のためか、顔をこわばらせ、そこを動けない。

 

横浜中華街のアパートの1室に、鍋をもった女性が帰ってくる。

「兄さんがね、お祝いくれたのよ。・・・これ、昨日買ってきたんだ」
うれしそうに、中にいる男に茶碗を2つ見せるが、男は煙草を吸い続けるだけで答えない。
「保護司の先生に連絡した?・・・ちゃんと連絡しないと、仮出所取り消されるんじゃないの。
 ・・・ねえ、せっかく夫婦らしい夫婦になれたんだから・・・あたしたち。」
洗濯物を片づけながら女性は続けるが、男は黙ったままだ。
男は小さな紙で鶴を折っていた。そしてつぶやく。「地獄・・・」女には聞こえない。

「地獄がどんなもんだか、教えてやらなきゃな。」そうつぶやき、顔を上げたその男は、国府吉春だった。

 

新居となるマンションの部屋を下見する輝一郎と実那子。楽しそうだ。
ベランダから射す光の下でうたたねする2人。

 

輝一郎の会社の会議室。スライドで絵画を映しながら輝一郎がプロジェクトの説明をしている。

「世界中のモネを集めるだとよ・・親の七光りがどこまで通用するか、お手並み拝見だ」
「今度の人事異動でも濱崎に関しちゃ部長は手を出せないみたいだな」
「娘を踏み台にした男にでかいツラされて、いまいましいったらないだろうな」・・・その陰でこそこそ話す男が2人。
説明の途中「分かった、もういい。進めてくれ」さめた顔でそう告げる部長。
「では早速パリのオルセー美術館との交渉を始めます」返事をしながら、ため息をつく輝一郎。

 

実那子は、結婚を控え自分の部屋で押し入れの荷物を整理している。物を捨てられない性格なのか、子供の頃の物が出てくる。グローブを見つけ、子供の頃を回想してしまう。

・・・私は男の子の遊びばかりしていた女の子だった。

  日差しが溢れる原っぱの中で、父親とキャッチボールをしていた。
  その側でシートを広げて楽しそうに2人を見つめる母親。
  横で一心にバイオリンを弾く姉。

  夏祭りにも行った。金魚すくいをしたり、ヨーヨー釣りをしたり。

・・・家族が事故で死んだ頃を境にそれ以前の記憶はぼんやりしているが、故郷の美しい風景はいくつか思い出すことができる。やがて1台のトラックが私たち一家を押しつぶした。奇跡的に助かった私は親戚の家に引き取られ、故郷の祭もそれが最後になったのだった。

ふと、実那子はダンボール箱の底に手紙の束を見つけた。群馬から東京に引っ越すときにもらった子供の頃のラブレター。差出人は不明。その時は少し不気味だったが捨てられなかった。

手紙を読む。「『君がもうすぐ町からいなくなると聞きました・・・』」
駅前の本屋で探偵小説を買っていたこと。エラリークイーンの国名シリーズが好きだったこと。
丘の原っぱでひとりで本を読んでいたこと。ターザンごっこが好きだったこと。実那子が投げるカーブはドロップだということ・・・よく知っている。

「『君がこの町からいなくなるまえに一度でいいから会いたい。正直に言うと、僕は君と何度も会っています。でも僕は遠くにいる君を見ることしかできない。君と話をすることができないんです。僕は君に会ってはならないんです。』」・・・首をかしげてしまう。
「『そこで、僕は考えました。15年目になるころにどうですか。君は27歳、僕も同じくらいの歳になっています。僕は胸を張って君に会えそうな気がします。だから約束です。15年目の今日、僕たちの森で・・・眠れる森で会いましょう。君が来てくれるまで、僕はずっと待っていますから。』」

・・・僕たちの森・・・眠れる森・・・想い出す、美しい緑の森。鳥がさえずり、日が射して光り輝く森。
・・・15年目の10月8日。あさってだ。
・・・長い間背を向けてきた故郷で、私を待つ人間が、過去から私を呼ぶ人間がいる。誰なんだろう。

 

直季の部屋。昼休み中の由理が昼食を一緒に食べようと、2人分の弁当を持ってやってくる。が、ダンボールに荷物をつめている直季を見て足が止まる。引っ越す準備か。直季は由理の呼びかけに振り向かない。由理は直季の顔色を伺いながら過ごしてきたもどかしい想いをうち明けるが、彼は何も言わず作業を続ける。無理に笑いをつくって由理は手伝おうとするが、さわらせない。

「約束だったよな・・・1998年の夏が終わるまでだって。その年の秋が始まる頃にはお前とのつきあいはやめるって。」直季はそう言い、一度由理の方を向いた後、「・・・別れてくれ。」と切り出す。
由理は突然のことに問いただすが、直季にはそうではない。4年前に言ったはずのことだ。しかし由理には冗談としか思えないこと。帰れという彼の言葉に納得いかない。敬太のことを気遣ってのことかと訊くが、関係ないから帰ってくれというばかり。「・・・どうしちゃったの?」「夏が終わったんだよ!」つらそうにソファに座る直季。

別れる理由を問いただす由理に「これから出会わなきゃならない女がいるんだよ!」ついに言ってしまった。「帰れ・・・。」
由理は泣きそうな気持ちをこらえてとぼとぼと去っていった。

 

実那子は、故郷に向かう電車に乗り込んだ。電車に乗る直前連絡をくれた輝一郎には、外回りだと嘘をついてしまった。昔の自分を良く知っている男性に会いに行くとは言えない。車窓の風景を楽しみながら、勢いづけにビールなんか飲んだりしている。

故郷の駅前。コロッケ屋のおじさんに笑いかけてみる。駄菓子屋のおばあさんに声をかけてみる。実那子のことは覚えていないが会釈を返してくれる。昔と変わらない。
・・・事故以来、男の子と森で遊んでいた自分は変わってしまった。1人ぼっちで探偵小説を読んでいた・・・

古ぼけた教会の前を通り過ぎ、本屋の前に来た。中に入ってみる。老主人の男性は、12歳の頃の彼女を覚えていた。本を包んでもらう。

森の入口にたどりついた。誰かが待っているのか。
・・・自分の過去にふれる勇気が少し足りなかった・・・前を通り過ぎてしまう。

丘の原っぱで、包んでもらった本を取りだしてぱらぱらめくってみる。
過去の記憶は曖昧だと教えてくれたのは輝一郎だが、ならば、過去の記憶がなくても生きていけるはず。8秒の現在と、それに続く未来さえあれば。家族がいたころの記憶は遠くかすれてしまっている。
・・・父親とキャッチボールをしていた私。・・・ひとりぽっちで本を読んでいた私。よみがえる記憶。
・・・私は過去に励まされたかった。

実那子はさっき通り過ぎた森へ向かってまた歩き出していた。

陽光の射す森の中は小鳥がさえずり、せせらぎが流れ、生き生きとしている。
・・・ここで男の子とターザンごっこをした。でもラブレターの張本人はあの男の子ではない。
遠くから自分を見ていた男の子の言葉に誘われてここまで来てしまった自分が滑稽に思える。
恥ずかしがりやの男の子の気まぐれだろう。森には誰もいなくて、むしろほっとする実那子。

輝一郎の元に帰ろうと決心した時、ギシギシッという物音に惹かれ、また奥へと歩き出してしまう。

木と木の間に揺れるハンモックで、1人の青年が顔を帽子で隠して眠っていた。

「あの・・・」そばにより、実那子は声をかけてみる。眠りから覚め、実那子をちらっと見る青年。直季だ。
しかし実那子には初めてみる顔。「お休みのところすみません」
「寝ちゃったよ・・・待ちくたびれて。」少しぶっきらぼうな直季。
「じゃあ、あなたが・・・」
「ご無沙汰」
「あの手紙・・・あなたが書いたんですね。」
「興味津々?」「は?」
「自分にラブレターを書いたガキがどんな男になって現れるか、興味津々でやってきたの?それともあれかなあ、3ヶ月後に結婚を控えた女の、ちょっとした冒険心ってやつ?・・・かっこいいよな、イブの日に式あげるのって。」不遜な笑み。
「どうして知ってるの?!」驚く実那子。
「知ってるよ、あんたのことならなんだって」・・・起きあがって直季は薄笑いを浮かべた。実那子が13歳でこの町を出てから、中学・高校時代のこと、今の仕事のこと、一人暮らしで通った銭湯のこと、輝一郎との出会いなど・・・茫然とする実那子の前で、煙草に火をつけ彼は饒舌に話した。「よろしく。伊藤直季っていうんだ」
「ずっと私をみてたってこと・・?」
「気づかなかった?一度銭湯の前ですれ違ったことがあるんだけどさ。」
「何のために?」
「そんなわかりきったこと訊かないでよ。」
「15年も声をかけずに後ろをつけ回していたなんて変よ。」
「変だよ」
「そんなことされてたってわかって、相手の女性が喜ぶと思う?」
「ううん、思わない」淡々とした態度。
「15年目にこういう形で会おうとしたのはなぜ?ここに来た目的は何なの?」問いただす実那子。
「それはこっちが訊きたいよ。何が目的でここへ来たのか。」直季の問いに実那子、答えられない。「あ、ひょっとして、婚約者よりいい男が待ってるかもしれないって期待しちゃった?」
「あたしはただ・・・」
「ただ何?ただ相手の気持ちが知りたかった?自分に恋した少年が今どんな男になって愛について語るのか聞いてみたかった。で、言わせるだけ言わせといてこう言うわけだ。『ごめんなさい。私には結婚を誓った人がいるの。でも独身最後の楽しい思い出ができました。あ、今度新婚旅行先から絵はがきでも送りますわ。じゃ、さようなら』・・見送る男の背中を視線に感じながら、この森から去っていく・・・どう、図星でしょう?」ハンモックを揺らしながら直季は不敵に笑った。「でも、そうはいかないからね」まじめな顔で実那子を見る。

「なにしようっていうの」
「そっちが何をされたいかによる。」「・・帰る!」背を向けて歩き出したとき、
「新しい自分!」直季の言葉に振り返る実那子。
「名前も仕事も友人も恋人も全部捨てて新しい自分になりたいって思ったことない?」つかつかと目の前に歩み寄り、「ここで生まれるんだ。来年は1歳、再来年は2歳。体は大人でも目の前の人生は新しく覚えなきゃ行けないことばかりで、毎日が冒険の連続だ。そういうの夢見たことない?」
「・・・ない」実那子は横を向いてしまう。
「過去なんて関係ない。今と未来だけあればいいって、そういうことをいうんだよ。人生のやりなおしってのは今までの全てを捨てなきゃならないっていうことなんだ。誰も自分のことを知らない場所で、別の大庭実那子に生まれ変わればいいんだよ。そういうの夢見たことない?」
「ないわよ・・・」怒る実那子に直季はにやっと笑いかける。急いで去ろうとするが、
「知らないぞ、これから先」
「何なのよ、一体!」
「残酷なことが待ち受けてんだよ!」「残酷なこと?」どなる直季に立ち止まってしまう実那子。
「・・ほら、言うでしょ、いっ、一寸先は闇だって。ねぇ、俺だって明日はどうなるかわかんないわけだし。」しまった、という顔でごまかす直季。

・・・雷鳴。雨が落ちてきた。

「俺がまっさらな人間に変えてやるよ」不敵に笑いながら直季は実那子に近づいていく。
「頭おかしいんじゃないの」「なあ実那子」「そんな風に呼ばないでよ!」「未来だけでいいんだよ実那子には!」
実那子の背中が勢い良く立木にぶつかった。直季の手が実那子に触れそうになる。が、触れられない。
伏し目がちな実那子の正面に顔を近づける直季。「実那子は今生まれたんだ。簡単なことなんだよ。」ささやきながら、うなずいている。
「何なの?私を待ち受けている残酷なことって」少し怯える。
「・・・」「答えてよ」さらに問いつめる実那子。
「もうすぐわかるんじゃないの」背を向けて去ろうとする直季。「もうすぐ・・?」「いやでもわかるんじゃないの」
「あなたはわかってるのね」問う実那子。今度は直季が答えられない。「私にわからないことがどうしてあなたにわかるの?」
「・・・あんたは・・・俺の一部だから」静かに、まじめな顔で告げる直季。
実那子にはわけがわからない。帰ろう。「・・・さようなら」と走り去る。

森の入口まで帰ってくる。土砂降りの雨の中、ずぶぬれでとぼとぼと駅へ歩いていく。
さっきほほえみを返してくれたおじさんも、おばあさんにも顔をあわせられなくなってしまう。

直季はハンモックに横たわり、土砂降りの雨を全身で受けていた。
とどろく雷鳴。

初老の男が直季に近づいていく。「帰ってたのか」直季は答えない。「小屋に寄るんだろ。」「ああ」
「風邪ひくぞ」2人は親子だろうか。男から投げられたタオルで顔を覆いながらも、まだ雨に打たれている。

 

帰りの電車の中で、実那子は怯えていた。
「実那子は今生まれたんだ・・・簡単なことなんだ・・・」直季の言葉がよみがえる。

 

夜。輝一郎の部屋のベッドで実那子は輝一郎に抱いてもらった。彼が仕事で疲れていると知りながら。

髪に残った雨のにおいに気づかれそうになるが、ごまかす。部屋の壁の裸婦像は輝一郎の死んだ母で、彼の父は今も彼女を描き続けている。「過去の亡霊に取りつかれているんだ・・」という輝一郎に、人生のやり直しはきくのかと問いかけてみる。
「人生は童話じゃないんだ。自分が背負ってしまったものを、一生かかえて生きていくしかない」
「過去なんか関係ない。8秒の今を実那子は生きればいい、っていったくせに」つっこむ実那子。
・・・あなたは何を背負ってる?・・・ものすごーくたくさんのものかな・・・輝一郎も、いろんなものを背負っている。彼に寄り添い、実那子は自分を納得させる。

 

次の日。昨日休ませてもらったかわりに今夜は残業だ。
夜、1人になった植物園内で仕事を済ませて実那子は執務室へ帰ってきた。しばらくして、突然部屋のライトが順番に消されてしまった。温室に誰かいる。実那子は中へ見に行った。暗闇の中、人の気配。「誰?」

温室内の電源箱の扉が開いているのを発見。触れようと手を伸ばしたとき、誰かが実那子の手をつかんだ。
「きゃあ」後ずさりして座り込んだ彼女の前に現れたのは、直季だった。手を振り払い、なんとか離してもらう。
直季はバンダという蘭の名前の由来を得意気に話し、よく勉強してるでしょうと、にやっと笑った。温室を見上げ、すごいなー、と眺めている。
「何なの、一体?」立ち上がって、気丈に問いかける実那子。
直季は、言葉を選んでいるのか、少し目を伏せた後「言ったろ。あんたは、俺の一部だって。
髪をかき上げながら不敵な笑みで実那子に接近し、視線を実那子に送った。
その視線にとまどいながらも、じっと見つめ返す実那子だった。

 

・・・冒頭の、15年前の事件のシーンが繰り返し映し出される。

上から見た映像。
惨劇のあった邸宅に集まる、傘をさした人の群。
そこから少し離れたところに白い傘がぽつんと1つ。だんだんアップになる。
これは一体・・・?

 


◆ メッセージです ◆

こんな長〜いレポを最後まで読んで下さった方、どうもありがとうございました!
「このシーンのどこかに、何か謎解きのヒントがあるのかしら?」なんて思いながらやってたら、短くまとめられなくなってしまいました(^^;;)・・・言い訳です。
直季・もとい拓哉くんは、本当にいろんな表情をみせてくれますね。これも謎解きのヒントでしょうねきっと。

次回以降の話が楽しみです! ・・・以上 ベガ No302 がお届けしました。


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