プロフィールと思想


  1. 昭和 1 桁の生まれ、小学校 5 年生まで東京で育つ、学童集団疎開体験者。

  2. 敗戦後は両親が疎開先の、栃木県の田舎に移る。

  3. ( 旧制、後に併設 ) 中学校は埼玉県、( 新制 )高校は栃木県、親が東京で戦災に遭い全てを失い、カネが無かったので無料の大学に行く。

  4. 海上保安大学の 4 年の時 ( 昭和 30 年、1955 年 ) に遠洋航海で ハワイに行く。当時は 岡 春夫の 憧れの ハワイ航路 の歌が流行った時代であり、 太平洋横断の主役 はまだ米国 プレジデント ・ ライン ( American President Lines ) による 旅客船の時代 であった。

    当時は ハワイ ですら庶民にとっては普通では叶えられない夢であり、先輩から海上自衛隊の パイロット ・ コース に行けば米国留学 ( 見物 ) の チャンス があると教えられて、卒業後は海上自衛隊の幹部候補生学校へ入校する。

  5. 広島県、江田島にある海上自衛隊幹部候補生学校では艦艇要員ではな く航空要員を希望 し、アメリカ軍事顧問団の英会話 テスト、航空身体検査を受けて、米国留学の パイロット ・ コース に運よく合格。

    1 年間学ぶ予定の幹部候補生学校を 8 ヶ月で仮卒業 し、昭和 32 年 ( 1957 年 )1 月に当時の ドル の個人割当限度額、 僅か 6 0 ドル ( 1 ドル = 360 円の固定 レート 、大卒 サラリーマン の初任給の手取りが 1 万円の時代 ) を持って羽田空港から 週 2 便の JAL の D C−6 B プロペラ 機で渡米 した。

    途中、西太平洋にある米国領の ウエーキ 島 ( Wake Island ) で給油 し ハワイ の ホノルル へ、そこから サンフランシスコ へと合計 2 4 時間 もかかつた。今では直行便で 9 時間半で行くところを−−−。

    ちなみに米国の フルブライト 上院議員が立案 した教授 ・ 学生の交換留学制度による、フルブライト 留学生に許可された ドル の持ち出し金額は 3 0 ドルであった。

  6. 敗戦後の日本は今の開発途上国並に貧 しく国際貿易収支が 毎年赤字のため 、外貨の ド ル を購入するには、日銀に外貨割り当ての申請が必要であった。その際に添付した パスポート は今の ビニール 製の安っぽい表紙ではなく、薄い 羊皮製 であった。

    なお日本人が自由に海外旅行に行けるようになったのは、それから 7 年後の 昭和 39 年 ( 1964 年 ) からであった

    アメリカ海軍飛行学校に約 2 年間留学 し、アメリカ 人学生の中に入れられ机を並べて授業を受けたが、英会話はともかく、教科書の読解や筆記試験には苦労 しなかった。米国の豊かさ、経済力の大差を痛感。

  7. フロリダ ・ アラバマ ・ テキサス州で受けた初級に始まる各段階毎の飛行訓練では、アメリカ 人学生の半分近 くが操縦適性無 しと判断されて次々に ク ビ になった。ようやく迎えた卒業飛行では、アメリカ 人学生 2 人と私の 3 人 1 組で希望する海外の米海軍 ・ 空軍基地に行けたので 、テキサス 州から交代で天文航法 ・ 推測航法 を実施しながら、1 0 時間 洋上飛行 して中米の パナマ を訪れ パナマ 運河を見物 した。

    帰途には カリブ 海の キューバ 東端にある グアンタナモ 海軍基地 ( 現在 アルカイダ の容疑者を収容中の ) にも宿泊 した。

  8. 帰国後、海上自衛隊の対潜水艦哨戒機に搭乗。第 3 操縦士 ( 航法士 ) と して外が見えない機内で、飛行機の位置 ( 緯度 ・ 経度 ) を算出する天測 ( 航法用の天体高度測定 )、航法作図を担当 し、揺れる低高度での哨戒飛行では空酔いに悩まされた。

    船と飛行機の両方での 天文航法 経験者は、日本では極めて珍 しい存在で、天測に使用する天体については太陽、惑星の火星 ・ 木星 ・ 金星 ・ 土星や、4 5 個ある航法用恒星では 1 等星の シリウス から北極星、2.5 等星の マルカブ まで、その星座位置、名前、色 ( 赤味や青味のある星 ) などを記憶 した。

    その後は飛行機も船も I R S ( 慣性航法装置 ) や カーナビ に使用する 「 G P S 」 が普及 し、天文航法は行なわれなくなった。航法士 ( ナビゲーター ) から副操縦士、機長に昇格すると、外界がよく見える操縦席は快適そのものであった。

  9. お国の為に 9 年間働き 御恩返 しも済んだので、3 2 才の時に民間航空会社へ転職 し、国内線、国際線を飛ぶ。 パイロット 生活 3 6 年間に合計 1 万 8 千時間を無事故飛行 し、空を飛ぶ趣味を満喫 した。

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  • [ パソコン ]

    定年退職後は ボ ケ 防止の為に パソコン を独習 したが、頭の悪さに加え加齢による記憶力減退のせいで、新 しいことを覚えるのに苦労 した。ホームページ 作りには息子が買ってくれた、 I B M の作成 ソフト ホームページ ・ ビルダー を使用せずに、当時 1,500 円で購入 した シェアー ・ ウエアー の簡易作成 ソフト ( Hyper Edit ) を使用 している。

    ホームページ については、私の感性の無さと技量未熟から デザイン 面で劣るものの、「 お仕着せ 」 の ソフトには無い製作の自由度があり、 H T M L の基本を身に付けることができて良かったと思っている。

  • [ 趣味 ]

    5 0 代までは登山、山歩き。退職の数年後からは体力の衰えから読書になり、図書館に通 い特に歴史物、時代小説 、捕物帖などを好む。

  • [ 代弁者批判 ]

    小田 実、本多勝一、などの当時 子供だった私と同世代の連中が、侵略行為 (?) への無垢 ( むく、手が汚れていないこと ) を基本に して、日本の過去を非難することにより自身の潔白を証明 し、革命の師と仰 ぐ 中国、北朝鮮などの代弁者の役割を果たすことに自己の存在意義を求めたが、そういう 戦後左翼を嫌う

    • 本多勝一 によれば

      「 中国の主張をそのまま伝えることが、 ジャーナリスト と しての私の役目だ 」。

    • 平成 19 年 ( 2007 年 ) に死んだ 小田 実 ( まこと ) によれば、

      「 第 三世界にとって、かつては日本が進歩の モデル だった。 しか し今その モデル は、例えば アフリカ の多くの国にとって、 北朝鮮にとって代わられようと している。 」

    彼らの行動や主張には、 ジャーナリストにとって不可欠な 事実を検証する 基本的態度 ・ 思考が欠落 し、 相手の主張の受け売りや タレ流 しをするだけ の 単なる メッセンジャー ・ ボーイ や、事実とは無縁の プロパガンダ ( 主義思想の宣伝 ) にすぎない。

    ソビエト社会主義共和国連邦 ( ソ 連 ) が1991 年に崩壊 したことにより ソ連側の機密文書が公開されたが、その中に 小田 実 が K G B ( ソ 連の秘密警察機関 兼対外諜報機関 ) から 資金的 援助を受けていた ことを裏付ける資料があり、彼に対する評価が大きく下がった。

    戦争に 「 勝ったがゆえに 正義で 、負けたがゆえに 罪悪 である というのなら、もはやそこに 正義 も 法律 も 真理 もない。 力による 優 劣 だけが全てを決定する社会に、信頼 も 平和 もあろうはずがない。」 極東 国際 軍事裁判所 の インド 代表、 パール 判事の言葉。


    • [ 憲法 九 条 ]

      「 井の中の蛙、大海を知らず 」 という言葉があるが、国際社会に無知な左翼主義者が唱える お経によれば 、「 平和を唱えるだけで、世の中が平和になり 」、「 話 し合いで、国際紛争の全てが解決 し 」、「 自国に侵略の意図がなければ、他国からも侵略されない 」 のだそうである。

      彼等が共産主義 ・ 社会主義革命の師と仰ぐ 旧 ソ 連 ( 現・ロシア ) ・ 中国 ・ 北朝鮮が、過去に 他国を侵略 した 歴史の真実 には口を つぐみ、彼等に対 して ご利益 ( りやく ) をもたらす お経 だけを、ひたすら唱えている

      日本国内で しか通用しない 空想的 平和主義 や、より端的な表現をすれば憲法 九 条や前文にある、 ( この世界には存在 しない ) 他国の 信義 なるものを信頼 し、平和を 希求 すれば平和が保たれる 。

      つまり ご近所さんは 皆 よい人々 ばかり なので、日本が平和を願ってさえいれば、近隣諸国から侵略もされずに平和に暮らせる などとする 間抜けな 9 条信仰 を嗤 ( わら ) う。


    • [ 家の戸締まり、九条札 ( ふだ ) の効用 ]

      戦後の日本の平和と安全は日米安保によってではなく、憲法 九 条によって守られたと 堅く信じる人は 、九 条を紙に書いて ド ア か玄関に貼り、今夜から カ ギ を掛けずに暮ら してみて、霊験あらたかな 「 九条札 」 の効能 を、 自分の身の安全で是非 確かめるべきである


    • [ 社民党の凋落と、その原因は 福島元党首 ]

      1990 年の衆院選で 136 名 もいた旧社会党がその後の選挙の度に党勢が衰 し、後継ぎの社民党になっても凋落傾向が止まらず、国交 副大臣の時に味わった 権力の 甘い蜜の味 が忘れられない 辻元清美 議員にも 離 党 された。

      それまで 10 名の議員勢力だったが、 2013 年夏の参院選挙では比例区で 1 議席獲得 しただけの大敗を喫 し、バカ のひとつ覚えの護憲念仏を唱え続けた福島党首も辞職に追い込まれ、僅か 5 名 の議員勢力になったのは至極当然のこと。次回の選挙では議員が 5 名を切り、 「 その他の会派 」 に格下げが必至と予想される。

      本来 反日左翼主義者が 創作 し、朝日新聞が宣伝 しまくった 「 従軍慰安婦問題 」 の第 1 回訴訟を福島弁護人が務めたが、最高裁で敗訴が確定 し福島元党首にとって自業自得というべき。( この問題について最高裁で勝訴 した例は 1 件も無し )

      朝鮮総連と親密な関係を保ち戦後 20 回も訪朝 し、横田めぐみさんなどの拉致を否定 し続け、北朝鮮労働党と 友党関係にあった社民党に 、国民が期待することなど何も無い。

    • [ 国防 ]

      スウェーデン は武装中立路線をとり、160 年間に 1 度も戦争を したことがないが、冷戦時代に領海内の フィヨルド に侵入 した国籍不明の潜水艦 ( ソ連? )を発見 し、爆雷攻撃をおこなうなど、 国の主権侵害や国防に毅然たる態度を示した。国防とは本来そういうものであり、平和とは 口先ではなく、行動 により守るものである

      ひるがえって日本の対応はどうであったのか?。中国の原子力潜水艦が沖縄で日本の領海を潜航 したまま堂々と横切ったが、日本政府は領海外に出るまで何もせずに、唯見守るだけであった。これでは中国から馬鹿にされ、近隣諸国からなめられるのは当たり前。

      平和を守ることは、社会の治安維持と似ている。 「 自分が盗みや、ヒッタクリ、強盗を しなくても、 ス キ があれば犯罪の被害に遭う 」 とするのが、国際社会の常識で、 竹島や尖閣諸島が良い例である

      チベット ・ 新疆 ウイグル 地区 ・ 南沙 / 西沙諸島の強奪や ベトナム 侵攻の前科がある強盗犯人 ( 中国 )との話 し合いで、今後強盗の危険が減るとも思われない。

      強盗、拉致、テ ロ の被害防止には日頃からの用心と、防犯対策が必要となる。防犯対策をすることを、強盗や拉致犯人どもと友人関係にある連中は、 あたかも犯罪の準備でもするように宣伝する者が多い

      国際社会では永世中立国の スイス でさえも国民皆兵制を実施 し、北欧の ノルウェー、スウェーデン、フィンランドは 「 核 」 を持たないが、市民の為に核 シェルター を設備しているのが現実である。

      日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識 という思考の ズ レ を無くすべきと考える、無意識の愛国主義者。

    • [ 孤独 ]

      人は生まれながらに して 1 人ぽっちである。ひとりで生まれ、そ してひとりで死ぬ。孤独こそ人間の自然の姿である。孤独は 独居よりも集団の中にある 。パチンコ屋の喧噪の中でも、人は孤独でひたすら玉の行方を追う。

      人は孤独を求めて旅に出るが、孤独には美的な誘惑がある。孤独には味わいがある。それを求めて四国遍路に出た。

    • [ 人生 ]

      人生とは滅びに至るゆるやかな傾斜である。子供 2 人は既に独立 し、孫も 3 人いる。老妻 と 2 人暮ら しの人生に、思い残すことは無 し。自作の戒名を 飛雲院孤峰義翔居士 と定め、心静かに お迎え を待つ。


    ANA 1010 便、ニューヨーク (JFK) 空港 へ 降下 ・ 進入の動画



    離 陸 支 障 な し( Cleared for Take-off )


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