天安門広場、その二


天安門広場の警官

どこの国でも共産主義や社会主義の国は、人々を監視する警察国家です。外出中にホテルの部屋の荷物が「誰かに調べられた」、と感じたこともありました。天安門広場には常時監視の警官がいましたが、日差しを避けるために日傘を設置する光景は、いかにも中国的でした。



天安門


昭和二十四年(1949年)十月一日の建国に際して、毛沢東が中華人民共和国の樹立を宣言したのはこの場所です。彼の肖像の左右には

中華人民共和国万歳、世界人民大団結万歳
のスローガンが掲げられています。
その後天安門は有料で登れるようになりましたが、外国人は中国人の二倍の料金を支払う必要がありました。

二本建ての旧通貨制度

その当時の中国では中国人が使う人民元(単位が、げん、)の通貨と、外国人が外貨を交換して得た外国人専用の通貨(兌換券で単位は円、一般には F E C と呼ぶ)、の二種類の通貨制度がありました。経済の弱体から天安門の料金に限らず列車の運賃でも、取れるところ(外国人)からは、より多く取ろうとしたのが中国政府の政策でした。

外国人料金制度を採ったのは中国だけでなく、ヴェトナムでは人民料金の三倍でした。しかし中国では経済の発展に伴い、十年ほど前に通貨制度が人民元に一本化されて、F E C は無くなりました。

注:)F E C
紙幣の裏面の説明によれば F E C とは、 Foreign Exchange Certificate、つまり Currency 通貨ではなく、外貨交換証の頭文字でした。
最早通用しなくなった下記の兌換券(F E C )百五十円の価値は、当時の都市労働者の一ヶ月分の収入、約五千円に相当しました。

中国の紙幣


戻る