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所謂三が日、の最終日。
この日まではさすがの青学テニス部も正月休暇で。
という事は朝練のための早起きも必要なかったりして。
そんな訳で、朝に弱い青学期待の大物ルーキーは当然、ここぞとばかりに昼前まで惰眠を貪っていたりしたのだけれど。
そんな幸せな空間は、不意に響いた誰かの来訪を告げるチャイムの音で終わりを告げる事になる。


ぴんぽーん。


ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん。


「………………なんなんだ、一体」
最初は無視を決め込んでいた越前だったが、どうも来客が一向に諦めない気配を感じとって、仕方なくのそのそと亀のようなスピードで起き上がる。
ようやく起き上がって玄関へ向かう間にも、粘り強くチャイムが鳴らされているのに、不在という可能性は考えないのか? と少々苛つき気味に舌打ちをして、これで勧誘の類いだったら即行ドア閉める、と固い決心をしながら渋々開いたドアの向こうに立っていた人物が余りにも想像の外の人物であったため、怒りも忘れて呆然とその人物を眺めるなどという羽目に陥ってしまった、というのは越前にとっては多少格好悪い話かもしれない。

「あけましておめでとっ、おチビ。今年もよろしくにゃ〜!」
にこにこにこ、と見慣れた笑顔で目の前に立っている人物の余りの普段通りの姿に数瞬ぽかん、としていた越前がようやく口を開いたのは正しく目の前の現実が脳に届いた時間と正比例して、およそ五秒程度後の事だった。
「……………おめでとーございますッス。………つーかなにやってんすか、アンタ…」
「なにって年始回りの御挨拶だよん。ど、びっくりした?」
「……はあ、まあ、そりゃ…。って、悪戯みたいなチャイム連打やめて下さいよ…」
「だーっておチビったら居るくせに出てくんのおっそいんだもん」
「居るって知ってたんなら連打しなくても待ってりゃいーじゃないっすか」
「うーん、っていうかね、何回か押してもだーれも出てこなかったから、居ないのかにゃーと思ってちょっと悔しかったから連打してみたんだなこれが」
にゃはは、と全く悪びれなく笑う相手に、越前は乾いた笑いを返した。
これで、目の前の相手が自分よりも二コ年上の先輩っていうんだから、世の中結構恐ろしいよな、とか思いつつ。
それはさておき、微妙に悔しい現実ではあるが、こうやってわざわざ自分の所に顔を見せてくれたのは嫌な気分では無くて(というよりむしろ逆で)越前は表面上だけはうんざりとした様子を崩さないながらも、菊丸に、で、折角来たんっスから、上がってくんでしょ? と当然の面持ちで問いかけたが、それを聞いた菊丸は越前とは好対照に、意外な事を聞いた、と言いたげなきょとんとした顔をして見せた。

「? …なんすか」
「そー来るとは思わなかった…」
「は?」
「いやー、ははは…。うん、でもやめとくよ〜、突然来たしね。おチビの家族に迷惑でしょー?」
「なにを今更…。早朝にチャイム連打の時点でとっくに迷惑ッス。…つーかウチ今誰もいませんよ」
「……誰も?」
「? はい」
昼前のこの時間を早朝と言い切った台詞を、しかし異を唱えることもせずますますきょとんとした顔を見せた菊丸に、それが何なのだと思いつつ、その時点では全く他意もなく簡潔に事実だけを述べたつもりの越前は、目の前の顔がにやにやと先程までとはまるで違うチェシャ猫のような笑みを見せたのを見て、自分の返答が間違った事を嫌でも知る事になる。
「いやーん、おチビったらえっちい〜〜〜〜!」
「あ…あのっすね…」
「そーかそーか、おチビはいっつもそーやってオンナノコを誘う訳ね! あーでもおチビくらい格好良かったらそれっくらい使い古された文句でも思わずころっといっちゃうかも〜」
どこがツボにはまったのかげらげらと笑い転げる菊丸に頭を抱えたいような気分になった越前だったが、やられっぱなしは性にあわない生まれ持っての負けず嫌い気質がムクムクと顔を出して、目の前のお気楽な先輩にリターンを決めてやろうとにやりと笑った。

「アンタはどーなんすか? ころっといっちゃいそーなわけ?」
「オレはとっくにおチビにメロメロだからねえ、今更だよん」

一瞬位は返答に詰まるだろうと踏んでのリターンだったが、そこはやっぱり相手の方が一枚も二枚も上手だったようで。
テニスならともかく、口では到底菊丸に勝てない事はわかっているのだが、越前もついついムキになっていて、普段よりも随分と口数が多くなっている事にも気付かないまま、言葉で勝てないのなら次の手で行くまでとばかりに無言で上に向けた手のひらを今だ笑いを収める様子のない顔の前に差し出した。
「? にゃに?」
「こっちの風習では確かお年玉ってのがあるんですよね? かわいー後輩にくれないんっすか?」
「あのねー、おチビ、それはオトナの人からもらうもんであって、たかだか二コ年上の先輩からたかるもんじゃにゃいの〜!」
「べつに現金が欲しいなんて言ってないっすよ? 菊丸先輩から貰えそうなものを貰おうと思ってるッスから」
「ふ〜ん? まあいいけど…」
「じゃあ遠慮なく」
言葉と同時に越前は胡散臭げな表情をした菊丸の前に出したままだった手を襟首にかけ、思いきり自分の方へ引っ張った。
咄嗟に反応出来なかった菊丸が引かれた力の方向に倒れこんでくるのを良い事に、もう片方の手で後ろ頭を抱え込んで、そのまま唇が触れた……かと思った瞬間、際どいタイミングで唇に触れたのがするりと差し込まれた菊丸の手のひらの感触だった事に越前は思わず悔しそうな表情を隠す事も忘れて眉を顰めた。
またもしてやられた形になった越前が、口を塞がれた格好のまま憮然とした表情で随分と至近距離にある大きな眼を睨むと、菊丸は何かを企んだような顔を隠さずにへらりと笑う。

「ざーんねん、でもそー簡単にいっちゃあ面白くないでしょお」
(にゃろう…)
「…でもまあ、残念賞ってことで」

そう言った菊丸は、そのままの体勢で口を塞いだままの少し上にある越前の鼻先に、わざと音を立ててちゅ、とひとつキスを。
その突然の行動に眼をまるくした越前の珍しいとも言える表情を見た菊丸はにんまりと御満悦なカオで笑い、本当の猫を思わせる素早さで越前の手をするりと逃げた。

「…ちょ、……先輩?」
「残念無念まった新学期〜〜♪ ってね」
そのまま駆け去って行きそうな菊丸を、しかし越前は彼にしては慌てた様子で引き止める。
どうしても、この人騒がせな先輩に確認しなければいけない事があったから。

「……こーゆーことするってのは、期待しても、いーって事…すよね?」
言葉とは裏腹に睨むような挑むような眼をして言った後輩を小首を傾げながら少し眺めた菊丸は、次の瞬間、今日一番の綺麗な笑顔を浮かべて言った。


「それはあ、おチビちゃん次第ってトコじゃナイ?」
じゃあね、と今度こそ駆け出していってしまったどこまでも気紛れな先輩の背中を、不覚にも呆然とした面持ちで眺めていた越前は、ややして自身の頬が気のせいじゃなく熱くなっている事に気が付くと、どこか拗ねた子供のような年相応の表情で舌打ちをしてひとりごちた。


「ったく…まだまだだね。………オレも」


悔しいような、嬉しいような、相当に微妙な表情になっているであろうこんな顔、とてもじゃないが絶対誰にも見せられない、なんて思いながら。