+例えばこんな:スマッシュヒット編
果たして、最高のダブルスペアとは、どんなチームの事を言うのだろうか?
突然だが、話はそんなナレーションから始まるのである。
ひょんな成り行きからダブルスの大会に出場する事になってしまった越前リョーマ。
生粋のシングルスプレーヤーの彼がダブルスとは、何ともおかしな話ではあるが、しかし彼は基本的に前向きな人種である。
せっかくの機会、これを活かさずにどうするんだ、の心意気で彼は今、練習後の部室で非常に的確にお目当ての人物をゲットする事に成功していた。
「ふ〜ん? おチビがダブルスねえ?」
「…ハイ。で、英二先輩に相談なんすけど」
「あ、ちょっと待ったおチビ」
まさに本題に入ろうとした瞬間に待ったを出されて、越前は怪訝そうなカオを向けるが、菊丸はそんな越前の様子など意にも留めないといった様子で、ずばりと確信を突いて来た。
「おチビ、悪いけどペアを組むって話ならダメだよん」
「…何でッスか? 桃先輩の時みたいな不様なことしないつもりっすけど」
「てめー越前…」
けろりと言い放った菊丸に、桃城が入れたツッコミは綺麗に聞こえなかった事にして多少ムッとしつつも越前が詰め寄る。
そう簡単にOKして貰えるとは端から思っていなかったが、(何せ越前には桃城とのダブルスで散々なコンビプレーを披露してしまった実績がある)これだけは何としても承諾してもらえなければ意味がない。
ダブルスは苦手分野だと何の躊躇いもなく認めてしまえる越前だが、菊丸とのダブルスなら、桃城の時のようになるつもりはなく、とことんまで練習して彼の負担にならないくらいのコンビプレーを身につける気は満々である。
それに、菊丸とダブルス。
その一点だけに惹かれて、越前は苦手な筈のダブルス大会出場に頷いてしまったのだからして。
それなのに。
目の前のヒトはちょっと小首を傾げて唇に人指し指をあてながら、という中学三年生男子としては少々どころか普通は許されないだろうたいそう可愛らしいポーズで容赦のない事を言い切った。
「うーん、おチビがどうのってか、オレさあ、もうペア決まっちゃってるんだよね〜。だからダメ」
「は…………?」
て、わけだからゴメンねおチビ〜。他あたって? なんてほがらかに笑う菊丸の声をどこか遠くに聞きながら越前はようやく自分の失態を悟った。
菊丸英二。
青春学園が誇るダブルスの第一人者。
そして今回の大会はダブルスオンリーの大会で、だとすれば自分より先に菊丸に話が持ちかけられているなんて事は考えてみれば当たり前の話だったのだが。
越前リョーマ、目の前の野望に気を取られ過ぎたあまりの一生の不覚。
もうこの時点で越前のやる気は0に限りなく近い方向に傾いているのだが、しかし、しかしだ。
男として一度受けてしまった大会出場をいまさら無かった事にできるだろうか? と考えて越前はぶるぶると首を振った。
理由はどうあれ、一度承諾してしまった事を今更無かった事に…というのはどうにもプライドが許さない。
ううう、と思わず唸っている越前を面白そうに眺めて、不二が至って呑気な声を出した。
「越前がダブルスかあ。面白そうだけど、あと一週間で完璧なコンビプレーを身につけるなんてのは到底無理だろうし、だったらお互いそれをカバーできるくらい強い相手と組むのがベストなんじゃない?」
そうだ、確かに出るからには誰にも負けたくない。
そしてコンビプレーも望めないのであれば(何故なら越前は菊丸以外とコンビプレーのために必死に練習する気が皆無であるから)せめて足を引っ張らないくらいには強い相手………。
そこまで考えて、はた、と越前の動きが止まった。
そして、一部を除く周りの善良なメンバーを思わず後ずさりさせるくらいには黒い笑みを不意に唇に浮かべた。
いるじゃないか。
とっときの相手が。
「…つーわけで手塚部長、よろしくっす」
やると決めたら行動は迅速に、がモットーの越前。
いきなり自分にふられて固まっている手塚の元につかつかと歩み寄り、誰が聞いても傲岸不遜としか思えないような口調で、ぺこりと頭を下げてみせた。
ちなみにそんな光景の中、不二はにこにこと笑っているし、菊丸は面白そうに眺めているが、他のメンバーは手塚以上に固まっている。
そんな空気には全く気付きませんと言わんばかりの越前は、面倒臭いことがやっと片付いてやれやれ、といった風情で何の躊躇いもなく帰途につくために部室のドアに手をかけた。
そこでようやく我に帰った手塚が彼にしては慌てた様子で既にドアを開け、帰る体勢が整ってしまっている越前を引き止めようと声を出しかけた所で、何かを思い出したようなカオをした越前が振り返った。
「えち…」
「部長、早速明日から練習しますんで。明日10時に家のコートで。遅刻厳禁っす」
ニヤリとまたしても黒い笑みを浮かべて言った越前の台詞は突っ込みどころが多すぎて、どこから突っ込めばいいのかと一瞬手塚が固まってしまった間に、越前は容赦なく部室のドアを閉めたのだった。
「にゃはは〜、手塚おチビとのダブルスけって〜い」
「手塚と越前のダブルスかあ…。面白くなりそうだね」
氷点下まで下がったまわりの気温とは裏腹に、そこだけが異質な空間のようにあたたかい空気を保ったままで、不二と菊丸が笑いあう。
最凶コンビ3-6の名は伊達じゃないな…とぼそりと呟いたのは乾あたりだろうか。
がっくりと項垂れる手塚の珍しい姿を横目に、とりあえず全員を代表した形の副部長が、控えめなツッコミを溜息と共に吐き出した。
「遅刻厳禁って…。越前…お前がそれを言うのか…?」
ツッコミは控えめすぎる程控えめなものだったが、それだけでも口に出せた彼を心の中で誉めこそすれ、咎められるものは勿論誰も居なかった。
因に越前が手塚を巻き込んだ理由は強いという事が第一ではあったが、自分が菊丸とダブルスができないというのであれば、まず確実に考えていたであろう部長とその恋人とのダブルスもついでに潰してしまおうというのが第二の理由であったとか。
それは、一蓮托生って良い言葉だなあ、とかしみじみ考えている越前以外は知らない筈の事実である。
そして迎えた大会当日。
案の定コンビプレーは絶望的ではあったが、手塚・越前ペアは本物のダブルスプレーヤーが見たら頭を抱えたくなるような試合内容にもかかわらず順当に勝ち進んでいた。
これもひとえにでたらめな個々のポテンシャルのおかげである。
その意味でははなからコンビプレーを捨てていた越前の作戦勝ちといってもよかったかもしれないが、応援に来ている青学メンバーはあまりに酷い試合内容に、実際に頭を抱えていた。
特に本職ダブルスプレーヤーの大石などは手塚・越前ペアの試合の間はずっと胃を押さえている有り様で…。
って、あれ?
越前はおかしなものを見たとばかりにぐるりと頭を回して応援席、正しくは大石、を凝視した。
ちなみに今は準決勝。れっきとした試合中である。
そのまま動かなくなってしまった越前に、流石の手塚も真面目にやれとばかりに突っ立ったままの越前に声を飛ばす。
「越前! 何をぼーっとしてる! 試合中だ!」
「…部長、なんであのヒトあそこにいるんすか?」
「は?」
「…いや、大石先輩」
「何を言っている? 大石はこの大会にエントリーしていないだろうが」
「て、え、ええ?」
そんな、だって、英二先輩がもうペア決まってるっての、なんの疑いもなく大石先輩とだと思って、あのヒトなら安全牌だしとか…って、ええええ?
いい加減に働け越前! という手塚の声とそれでも続くラリーの音を耳の端に入れながら、結局越前は試合が終わるまで応援席を凝視したまま動く事はなかった。
二対一というでたらめな試合で流石に疲労困憊の手塚に頭を手加減無しで殴られるまで。
「…てゆーか、あれで勝っちゃう手塚の存在自体がでたらめだよねえ?」
のほほんと笑う不二の言葉に頷けるメンバーは、もはや応援席には存在していなかったことは追記しておく。
やっと決勝、これが終われば家に帰れる…。
本日初めて気持ちが一つになった手塚・越前ペアが疲れた体に鞭打ってコートに歩みだそうとした時、にわかに応援席がざわめいた。
「…部長、これって」
「…なにも言うな越前。とにかく俺は早く家に帰って安らかに眠りたい」
この後の展開を予測したくもないのに見えてしまってがくりと頭を垂らす越前に、すでに現実逃避を始めてしまった手塚。
できることならこのまま回れ右して帰ってしまいたい、とここにきて二人の気持ちはようやく通じ合ったりしたのだが、しかし現実はやっぱりそう甘くはない。
どんよりとした空気を漂わせる手塚・越前ペアとは対象的にますますヒートアップする応援席。
そしてやっぱりお約束。
「勝つのは…………俺だ!」
「ほいほーい、頑張っていこーねえ」
ばさあ、と翻るジャージに満足そうに口元を笑みの形に釣り上げる姿。
くるくるとラケットを回してお気楽に笑う姿。
突っ込みたくはない。
そらもう全身全霊を賭けて突っ込みたくない。
しかし、人としてこれだけは突っ込まなくてはいけないのだろう。
「「なんでここにいる(んすか)!!!」」
手塚・越前ペア、試合前からすでに気力ゲージ残り5%未満。
しかし目の前の二人は視角効果は全く違うというのに、同じような笑みをもって平然と。
「アーン? てめえらが決勝まで勝ち残れたのも冗談みたいな話だってのに、俺様がここまで来れねえわけねーだろうが」
「おチビー、やっぱ来たねえ、ダブルスだからちょっと不安だったけど、エライぞー」
違います。全然それ答えになってません。
同時に思う手塚・越前ペアは図らずもここにきて完璧なコンビネーションを会得したようである。
惜しむべくはそれがあくまで本人達の自覚の外であるというところだが。
「英二先輩…。もうペア決まってるって…」
「そーだよん。お前らがペア誘ってくるかなーって思ってたから、跡部と相談してさ〜、どーせなら対戦したいよねえって。勿論びっくりさせる意味もあったんだけど」
「そ…すか…」
「どお、どお? おチビ、びっくりした?」
わくわくという表情を隠しもせずに相手コートに立つ菊丸が聞いてくるのを、ぼんやりと、ああやっぱり可愛いなあこの人…とか考えつつ眺めていたのは、もはや確実に現実からの逃げである。
そしてそんな越前の隣では手塚が現実に無駄な抵抗をしていた。
「跡部お前俺の誘いを断ったのはこういう訳か!」
「あー? 菊丸が面白い事考えたってーから乗ったまでだぜ? それにお前ダブルス下手じゃん」
特殊…というかもはや超能力であるような気がするインサイトの為せる技なのかなんなのか、一番痛い所をピンポイントでぐっさりと突き刺した跡部が鼻で笑うのに、手塚はあっさりと撃沈した。
「あー、跡部ってば容赦ないなー。ダメだよ今から対戦するのに、対戦前に再起不能にしてどうすんのさ」
「事実しか言ってねえよ。それに今までの試合内容でいくらなんでも自分でわかってんだろうが」
「そりゃそうだけどさあ、でもそれ言ったら手塚よりおチビの方がヒドイじゃん」
「おい、おまえの言葉で越前が白くなってんぞ」
フォローする気が元からない跡部と、フォローしているようで止めをさしている菊丸の、しかもあくまで邪気のない掛け合いに、もはや手塚・越前ペアの気力ゲージはすでにマイナスに入っていた。
もうこのままいっそ棄権できたら…、と同じ考えが越前と手塚の脳裏に過った時、不意に言葉を止めた跡部と菊丸が目を見合わせて不敵な笑みを漏らした。
「ま、正直お前らが決勝まで残れただけでも俺様としては奇跡に近いものがあると思うんだが」
「ラスボスを倒した後にはシアワセなエンディング、これってジョーシキだよね?」
「気はあまり進まねーが…」
「見事! 優勝しちゃったら、けっこーすごい御褒美なんか考えてたりするから、期待しててね、おチビちゃん! あ、もっちろん手塚もね〜。オレたち二人からってことで〜」
「まあ、万が一にもてめえらが勝てたらだがな」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「…………やるぞ、越前」
「………っす」
手塚・越前ペア、気力ゲージ完全復活。
そんな二人の姿に桃城が、男ってやるせねえな、やるせねえよ、とそっと涙を拭ったとか拭わなかったとか。
それはさておき、ようやく試合が始められそうな雰囲気に、ほっと息を吐いた審判がいざ試合開始のコールを…と思った瞬間、菊丸が、ああ! と大声を出したのに、審判はこめかみを引き攣らせた。
しかしペアなど組んでいるだけあって慣れたもの、何時の間にそんなに仲良くなったんだ、という密かな疑問の声をも一切合切無視しきった跡部・菊丸ペアはあくまでマイペース一直線だ。
「ああ? どーした菊丸」
「あれあれ、おチビたちとあたるときはやろーって言ってたじゃん!」
「……あー、あれなあ」
「うんうん!」
「じゃあ、ま」
非常に楽しそうな菊丸と、わりと普段通りな跡部が揃ってくるりと振り向き、びし、と二人で手塚・越前ペアに向かって指を突き付けたのに、突き付けられた二人はびくりと肩を震わせた。
今度は一体何が始まるんですか…?
そんな寒々とした手塚・越前の心の中にはまったく構う事なく、にやりと笑った跡部がすうと息を吸い込んで。
そして、非常に自信に満ちた声で。
高らかに。
「俺様の美技に……」
「酔いな!!」
…ヒトリでやってもアレな威力なのにペアでやると威力二乗ですか、そーですか。
いつもの台詞に満足そうな跡部と、一回やってみたかったんだよね〜、とはしゃぐ菊丸を前に、完全に石になった手塚と越前は、心の中で同時に思った。
(結構、こいつ(部長)も苦労してるんだな…)
パートナーを思いやる心。
手塚・越前ペアに決定的に足りなかったものが、多大な誤解・曲解のもと芽生えたようだ。
なんだかダブルスの極意を会得したような気にさえなり、悟りが入ってしまいそうな二人である。
ただの勘違いだが。
しかし今の二人にはそれでも十分であった。
たとえ恋人といえど向かいのコートに立つのなら今は敵。
微妙に間違った連帯感を持った二人は、やるからには勝つ! と当初の姿勢を今更ながらに思い出し、ぎ、と向かいのコートを見据えた。
「…勝つぞ、越前」
「…トーゼンっしょ」
二人は間違った思い込みの元、ようやく本当にダブルスペアとしてコートに立った。
何故か菊丸ビームを繰り出す跡部や、破滅への輪舞曲を連発してくる菊丸の姿を見る事になろうとは、未だ思いも因らずに。