「おーい、えちぜーん?」
越前リョーマという人間は。
目つきも悪いし態度もふてぶてしい。
だから一見とっつきづらそうに見えるらしいが、実際のところそうでもない。
どちらかといえば、わりと流れにまかせる主義のようで、自分から他人に積極的に関わろうという姿勢はないが、だからといって積極的に他人を排除しようというつもりもないらしい。
よく知らない人間から見れば年不相応で可愛くない奴に見えるんだろうが、あいつが初めてうちのテニス部に来た時に対戦して、それからなんとなく普通に付き合ってるオレから見れば、あいつは他の一年と変わらない…ってのは言い過ぎかもしんねーが、それでも可愛い後輩だと思ってる。
最近は他の一年とつるんでる(ありゃ半ば強制的に巻き込まれてるってカンジだけどな)姿も見かけるようになって、それはそれでいいことだと思うんだ。
ただ、そうは言ってもやっぱり越前は基本的には一匹狼タイプらしく、たまに一人でふらりといなくなることがある。
そういう時は大抵人があんまり寄り付かないような、でも日当たりのいいトコロで昼寝を決め込んでたり、もしくは屋上で一人でぼけっとしてることが殆どだと、最近の経験上なんとなくわかってきた。
部活の最中に姿を消すことはないが、部活が終わって着替えた後、それじゃ帰るかって時に気付くと姿が見えない事がたまにあって、そのたびにしょうがねえなって探しに行くはめになってるからだ。
まあ、別にほっといてもいいんだけどさ、下手すっと昼寝のつもりがアイツはそのまま朝まで熟睡、なんて事をシャレじゃなくやりそうだし、それで風邪なんてひかれてもなんだかなあ、ってカンジだし。
まあ、なんだかんだ言って、越前リョーマは、オレにとって可愛い後輩で、そしてオレは今現在、その寝汚い後輩をいつものごとく探している最中だったりするのだ。
「ま…、今日は天気もいいし、いつものトコかあ?」
ひとりごちながら、最近どうも越前のお気に入りになったらしい裏庭の、それでいて日当たりのイイいわゆる穴場といわれる場所にのんびりと向かう。
こんな日はそこで昼寝でも決め込んでるに違いないと、半ば確信しているだけに急ぐこともなく。
だいたいアイツはふらりと消えるけれど、決して見つからないような場所にいるわけではなくて、誰かが探しに来ると何となくわかっているからか、何も考えていないのかは定かではないけれど、一度決めた定位置を、そうそうと変える奴ではない。
そんな事を思いながらいつもの場所に辿り着いて、何の気なしに越前がいるものだと決めつけ、起こす目的もあって声を張り上げようとした瞬間、オレはありえないものを見てしまい、不様にもその姿勢のまま固まる事になってしまった。
確かに越前はいつもの定位置でいつものように蹴らない限り起きないような勢いで熟睡していたのだが。
だが、問題は。
「…おいおい、マジかよ……?」
その越前が何も気付かないように枕にしているのが、男テニのムードメーカー、黄金ペアの片割れ、そして俺を可愛がってくれてる先輩の一人の、赤茶の髪を持つヒトの足だったという事で。
なんでそんな状況になったのかは全くもって推測のしようがなかったが、そのヒト…英二先輩は、とにかく越前の頭を足に乗せて(いわゆる膝枕…ってヤツ?)片手で越前の髪を梳く動作を繰り返している。
この角度では英二先輩からはちょうど斜め後ろになっていて、その表情を見る事はできなかったが、その手がやけに優しく動いているのだけを俺の目はハッキリ捉えてしまって、口を開けたまま声をかけることすらできなかった。
と、いうよりは、思わず見つかってはいけないような気分にさせられてしまって、咄嗟に音を立てないように校舎の影に隠れてしまったのだが。
隠れてから、なんでこんなに自分が焦っているのだろうと思ったが、何だか声を掛けてはいけない気がした。
「そーいや、あん時英二先輩も探しに出たんだっけ…」
越前が居ないと言ったとき、そういえば英二先輩もいつもの調子で、
『んじゃ、オレも探しにいくよん。いっつも桃ばっかに面倒みさせるのもかわいそーだしねん』
と、笑っていた事を今更ながらに思い出す。
でも、だからって、この状況はないだろう!?
いや、ってゆーか、別にやましい事はないんだし、声さえ掛けちゃえばいつもどーりだろ? とか、誰に対する言い訳なのか自分でもわからないまま、このまま居ても仕方ないよな、と身を潜めたままぐるぐる考えていたら、不意に小さな声が聞こえて、オレはそっと声の方向に首を巡らせた。
ちいさな、ちいさな、オレの居る場所からでは余程集中していないと聞き逃してしまいそうなその声は、確かに聞き覚えのある英二先輩のもので、だけど、今まで聞いた事のない英二先輩のものだった。
どこかで、聞き覚えのある懐かしい、日本語ではない響きの歌は、ただ、優しく紡がれていて。
英二先輩の歌を聞いた事がないわけではないけれど、今まで聞いたあの人の歌とはどこも重なる所のないその歌は、ただ、優しく、静かに、ただひとりに向かって紡がれていた。
ただ、ひとり、多分、今自分の膝の上で眠る、後輩のため、ただそれだけのために紡がれる優しい、歌。
その表情こそ見えなかったが、優しい手の動きに、オレは漠然と知りたくなかった事を知ってしまったような気がして、立ち竦むしかできなかった。
その歌を、優しくて、そして少し切ないようなその歌を、ただじっとそこで聞いていることしか。
「…かわいそーだけど、そろそろ起こさないと皆心配してるだろーしね」
ふと、空気が途切れて。
仕方ないな、というカンジの英二先輩の呟きに我に帰った途端。
ごつ。という重い音と。
「くおらっ!! いつまで寝てるんだおチビ〜〜〜!! こんなトコで爆睡して、風邪ひいても知らないんだからなっ!!!!」
そんな大音響に慌てて二人の方を見れば、立ち上がった英二先輩が後頭部を押さえて目を擦っている越前に怒鳴り付けている姿が見えた。
越前に怒鳴りつけている英二先輩はすっかりいつもの顔をしていて。
いきなり起こされたからだろう越前は何が起こったのかわからないといった風情でしきりに目を擦っている。
今しがたまで見ていた風景は夢だったのかと疑いたくなるくらいにいつも通りの雰囲気に、やっと出ていけるのか、と安堵の気持ちで胸を撫で下ろしたけれど。
けれど、同時に、あの歌を。
あの歌が越前に届いていない事が酷く残念だと思った。
あんな優しい歌を。
いつも明るくて、一緒に馬鹿をやってくれる先輩がたったひとりのことだけを思って紡いだ切ない歌を。
それを思い出して、何故か痛む胸を誤魔化すように、オレは息を吸い込んだ。
「いーかげん帰るぞ! 越前ーっ!!」
振り向いた先輩が、もも、と小さく呟いていつものように微笑ったのを見て。
なんとなく、この痛みの正体まで解ってしまったような気がしたのだけれど、どうすることもできるはずがなく、ただ、いつものように笑い返したオレの顔が歪んでいなければいいと、それだけを願った。
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